2013年3月29日金曜日

11.8 信濃教育会


この日、憧れの方と話す事ができました。
信濃教育会、重鎮の先生です。
明治初期より、長野における教育への関心は非常に高かった。
明治9年の調査で小学校就学率63%(全国第1位)を記録し、同16年の文部省調査による旧国別の寺子屋数調査でも全国1位であった。
近世における民衆の文化的蓄積があったことや、寺子屋・私塾の師匠経験者や近代以降に設置された県立師範学校の卒業生らが小学校教員を務めたことも、こうした教育に対する関心の高さを支えていた。

こうした長野県における教育を支える側の教員たちの職能団体として成立し、「信州教育」を担ったのが、信濃教育会である。
信州教育とは、明治15年に県立師範学校長として赴任した能勢榮が提唱した概念で、長野県における教育が他府県のそれよりも優れた特質をもつとの評価を与えるものであった。
特に日清戦争後には、就学率の高まりを背景に、地域割拠の目立つ長野県の教育界を全県的に盛り立てるため、「汎信州主義」などの語とともに信州教育を強調した。
また、1907年(明治40年)には、信濃図書館を開設したが、これは後の長野県立図書館の前身となった。


今は昔の話ですが、「長野は教育県」と呼ばれていたのは、
この機関の活動の賜物であると思います。

教育者の職能向上を目的とした、由緒ある教師の為の教師による団体。
「こどもの成長にとっての最大の環境は教師である」というモットーを掲げて、
教育者を育てていく機関。

ずっと以前、教員である友人宅に遊びに行った際、
「月刊・信濃教育」をなんとなく手にし、そして読みふけってしまいました。
全教員が、この先生方の指導・講習を受け、理解をしたら、
長野の教育界は大幅に変わることでしょう。

父兄は、この団体に直接関わる事はできませんが、
講演会などに、紛れ込む事ができたら、是非話を聞いてみたいと思っていました。

子供の人権や、教育のありかたについても、
間違いのないアドバイスをなされる先生方が揃っています。

実は、この時、迷っていたことがあるのです。
11月は人権教育月間、息子は、14日に行われる授業参観の日だけは登校し、
「僕の人権をみんなで考えてもらいたい」と言い出していました。

この件、担任はさぞや頭を抱えていたことでしょう。
「生徒にはどんどん発言させてあげたい。
しかし、内容が内容だけに、どう対処したら良いかわからない。」

頭も抱えますよね。
息子を排除しようとしているのは、学校なのですから。

この件も含めて信教の先生に相談をしました。

「人権の授業で、友達に問題提起するのは、非常に重要な事」

と、ご指導いただき、私も授業に出す気持ちが決まりました。
息子を心配してくださり、学校へも電話も入れてくださいました。
校長は不在で、教頭が対応したとの事。

しかし・・・
どこの識者の言う事も聞かないのが、東中管理職クオリティ。

信濃教育会の会員になる事は、特に義務付られているわけではないようですが、
心得違いの若い教師の資質向上に、
今後も力を入れていただきたいと期待しています。

しかし、講習に参加しても、熱心に話を聞き、活動もするのは、元々良い先生。
講習に行っても居眠りをかまして上の空なのが、本当に講習が必要な教師。
これがどうにもならない現実。

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