熟慮の後、文書を作りました。
「教育長××××氏に関する意見書」
去る11月3日、安曇野市穂高総合支所における、「市長と語る会」において、
穂高東中学の教員の素行不良と、暴行事件の被害者である、息子に対する
校長・教頭の対応の悪さを指摘した。
当方からの質問に対し、教育長が市長に代わって返答したが、
質問の最後で、当方からの「週明け5日から、即この問題に対応してくださいますか」
という問いに対し、教育長は「対応します」と返答。
しかし、市長と共に、この約束を反故にした。
現在に至っても、市教委からは、電話の一本すらない状態である。
県教委・市教委に送付をした「市長と語る会」の原稿には記載されていないが、
当方は原稿を読み始める前に、
「本当は息子が自分で市長に話したいと言うので来たのですが、体調が優れないので、私が代わりに話します」と、前置きの後に、読み上げているので、
市長と教育長が、その場で交わした約束は、息子との約束であり、
行政の長たる者が、120名もの市民の前で、子供と交わした約束を平気で
反故にする事に激しく疑問を感じた。
教育長は、これまでも、市教委委員長の指示に従わない学校長と教頭を放置。
更に10月10日より、県教委××主幹からの要請にも、当方からの文書にも
一切返答はない。
(中略)
「市長と語る会」においての、約束の反故は、市長・宮沢宗弘氏も同罪である。
当方と息子は、「市長と語る会」に出向いたのであり、
教育長と語る会に出席したわけではない。
代返をした、教育長の発言に、市長は責任を持つべきである。
この件に関して、当方が市長と教育長に抱いた疑念をこれから記すものである。
市長・教育長レベルの社会常識を熟知する立場であれば、
このまま、校長・教頭を放置すれば、当方が民事訴訟と刑事告訴を行う事など、
容易に想像できるはずであり、教育公務員の公務遂行中の不祥事は行政裁判となり、民事訴訟における被告は、教育委員長になる事も承知であると思われる。
委員長は、2005年、2009年の市長選に出馬されており、
来年行われる市長選にも、「意欲はある」と10月26日の信濃毎日新聞誌上で発言されているが、選挙にあたって、民事裁判の被告である事は、大きなマイナス要因である事くらい猿でもわかることである。
と、こんな具合で、市長に鉾を向けた、長い文書を作りました。
新庁舎建設に因む市民から買っている反感や、次期市長選の話を含めて。
各データを引用した、この文書の作成には少々苦労しました。
国政選挙においては、
陰謀的なネガティブ・キャンベーンは日常茶飯事。
陰謀的なネガティブ・キャンベーンは日常茶飯事。
「こののどかな田舎でそんな馬鹿な・・・」とも思えますが、
人口密度が低い分、ネガキャンは逆に簡単かもしれません。
選挙戦の参謀となったら、
推薦候補を「上げる」事と同じように、対立候補を「落とす」事もやります。
どのような選挙でも、大なり小なりネガキャンはつきものです。
この文書が、県教委・市教委・知事室に出回った翌日に、
教育長からは、「対応が遅れて申し訳なかった」と電話が入りました。
効力が、あったという事です。
ここで、2週間以上のロス。
約束通り、11月5日から対応してくれていれば、
とっくに学校へ行けていたかもしれない。
しかも、その間にも、次から次へと問題が起きている。
普通に、早く動いてくれれば良いものを、どこまで手間がかかるのでしょうか。
「行政」って、こんなものなんだろうか。
こういう文書を作りながらも、「怒り」を感じなくなってきてしまった。
「学習性無力感」です。
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