行政上層部が、「子供の人権を考えない」という事を理解してから、
市の公人の在り方を疑問に思うようになったわけですが、
その中にあって、ブログで今までの事を書き出した事を伝えると、
「どんなに悪く書いてくれてもかまわない」と、おっしゃった方が1人います。
教育委員長。
お墨付きをいただいたのは良いですが、委員長を悪く書く理由が無い。
事実を公表されて、慌てふためくのは、脛に傷を持つ輩であり、
「何を書かれてもかまわん」という人は、
普段から「公になって困る行動などとっていない」と、
威風堂々としていられるという事でしょうか。
何故、委員長が、学校のコントロールができなかったか。
教育委員会の内部が、学校寄りと生徒寄りに分裂していたのでは?と思っています。
分裂どころか、「子供を救え」と常に言っていた委員長に対し、
「子供を思っている」という事が伝わってくる委員は、
残念ながら1人もいませんでした。
子供より、学校を守る側に立ったのが、
教育委員会の、実務担当・教育長だという構図でしょうか。
その他にも、あまたの教育行政関係者と関わりましたが、
他に、「苦しむ子供が最優先」だと言っていたのは、
知事だけだったように思います。
何故、このような軋轢があるのか・・・と、
9月に学校から始末書が出た後から考えていましたが、
委員長とむたい俊介氏が1時間にわたり、放談している動画を見つけて、
まずは、趣味である登山の話。
登山の目的は、体力づくりや汗をかく事だけではなく、「山に登る」という非日常の中で、天候を読み、危険をどう避けるか、綿密に計画を立てる事が必要で、
それが、「教育にも繋がる」という理由で、中学生の登山を推奨しています。
「登山」を通して学ぶ事は、普段の生活の中にも生かせる事で、
この経験が応用できれば、
実生活の中でも「計画性」や「危機管理」が身についてくるとの事。
遠足の延長のような気持ちで、燕黒岳登山に参加させましたが、
登山の奥深さのようなものを理解。
そして、登頂後の、景色。
高い所から、安曇野平を見渡すと、普段の視点と違う視点で、回りを見る事ができる。
「安曇野」だけではなく、様々な土地と繋がっている事を
自分の目で見れば、自ずと視野が広くなり、
安曇野は色々な土地の一区域でしかない事を知り、
鳥瞰で物が見れるようになるとおっしゃっていました。
鳥瞰→Birds eyes View
鳥が空から物を見るように、物事を俯瞰で見る、大系・大局を見る。
この放談で意外だったのが、安曇野市も一枚岩ではないのでは?という事です。
今まで、地元の方、特に60代以上の方に感じていたのですが、
「封建的」「閉鎖的」「排他的」な考え方をする方も多く、
それが、「差別」を行う大人がいるという事に繋がるのではないかと思っていましたが、
この事を、このお二人が「理解している」と思われるくだりがありました。
「安曇野市では、民主主義が偏っている」
「民主主義の意思決定において、決定権のある人間が偏ってる。」
これは、行政の上層部を指しているのでしょう。
「これが、確固たるベースなので、外の物を取り入れようという考えは疎まれる。
例えば、東京や世界に出て帰ってきた人の、知識が役に立たない。
それらの人達が持つ、新しいのネットワークを使おうとしない。
戦略的議論をする場合でも、外の人間の知恵を借りるという事をしない。
潜在的人的資源を全く使えていない」
上記は、むたい氏の発言ですが、
このあたりは、安曇野エスタブリッシュメントの民度を問う話にもなりかねないので、
軽いトークにも拘わらず、お2人とも言葉を慎重に選んでいるように見えました。
そして「偏った民主主義を改正しなければいけない」
という所で同意されていました。
確かに、そこかしこに見られる「民主主義をはき違えた、できそこないの共産主義」
行政だけではなく、民間でも、何か「役」を得ただけで、
独裁者にでもなったつもりの人が多いように思います。
外の風を入れようとする前衛的な考えを、老獪な重鎮達は拒否をする。
実際は、特に前衛的などではなく、全国的にはあたり前の考えですが、
古い人達には、危険思想でしかない「安曇野グローバル」
何故、危険なのか。
今まで温存していた「既得権益」「人間関係」などが、
根こそぎなくなってしまうからではないでしょうか。
本来、時代と共に変わって来なければならなかった数々の事象が温存されている。
田中康男氏が知事になった折、
名刺を破り捨てるという稚拙な抵抗をした県庁職員がいた事を思い出します。
この放談の中で、委員長は「子供は国の共通財産、
妊娠してから成人するまで教育委員会が面倒を見てもいいくらいだ」
と、一見唐突とも過激とも思われる意見を言っていますが、
こうして、新しい意見が取り入れられ、行政が大幅に変わって行くのは、
この土地に住む者として、未来に期待ができる発言でもあります。
行政のシステム上、対峙するハメになってしまった事が残念。
委員長が、子供を重視し「補習」を組むよう指示しても、
開始に間に合わない時間設定をしたり、事件関係者を投入したり、
全くやる気のなかった学校サイド。
「ブロック」も委員長案、これも学校は実行しなかった。
ちなみにBird eyes Viewというところで少々引っかかりました。
Birdにもいろいろ。
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」
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