2013年3月29日金曜日

お正月


新年、あけましておめでとうございます。

と、言っても家は、全く目出度くないお正月でした。
息子は、クリスマス同様、暗い気持ちでお正月を迎えました。
息子のそんな姿を見て、家族一同も、新春を寿ぐ気持ちにはなれず、
事件関係者達に、大きな怒りを新たにした正月となりました。

例年なら、元旦に、手にしたお年玉ですぐ買い物をしたがり、
欲しいゲームを購入して、兄弟や従弟と大騒ぎ。
兄弟の中でも、一番口数の多い、明るい息子がこの調子なので、
他の兄弟・親戚も気を遣い、静かすぎるお正月でした。

この異常とも言える学校の対応。
今までの色々な文書を親戚にも読んでもらい、話し合いをしました。

身内一同が、初期の頃から息子に勧めているのは、「転校」です。
息子を「転校」という形で、この学校から「避難」させてから、
事に当たれというのが、身内の意見で、
私もその事は「選択肢」の1つとして、以前から考えていましたが、
当の本人である息子が、これには頑として応じず、
全て解決してから、クラスや部活の友達と、
元通りの学校生活を送りたいと望んでいます。

その為には、「暴力する奴や差別する奴を辞めさせれば良い」
というのが、息子の持論。
何が何でも自分は引かないとテコでも動きません。

息子を可愛がっている私の叔父は、お酒の勢いもあり怒り心頭。
問題の解決に時間をかけ過ぎていると、私が怒られる始末でした。
そんな事言われても、相手のある事だし、
相手が、息子を排除しようとしている以上、一筋縄ではいかない。

しかし。
私は、代理人の文書を読んで思った事があります。

学校と教育委員会は、代理人を窓口ともせず、
そして、代理人は、こちらから聞く事は無いと書いています。
今に始まった事ではないですが、暴行を受けた、
「息子のメンタルケア」など一切するつもりもなく、
「復学」「転校」「カウンセリング」などを含む、諸相談にも応じるつもりも無いという事。
暮れには、唯一の学校との「絆」でもある、「担任」との?がりも切ろうとしました。

警察沙汰になった暴行事件のあらましも、担任が軽く聞き取りをしただけで、
学校サイドは、被害者の息子本人からは、何も状況を聞かないという片手落ち。

登校できる環境を整えないばかりでなく、
敢えて、事件をフラッシュ・バックさせるような言動ばかりとっている。

・「ブロック」しなければならないはずの「加害教師」から、声をかけさせる。
・「事件関係者」を、あえて補習に投入する。
・現部活顧問から、「息子が部活動に向かえなくなる暴言」を吐かせる。

その他、この件に端を発した「いじめ問題」も山積みで、
文部科学省の「いじめの定義」に完全に、はまっています。

こうして、あまりに回り全てが非常識だと、
時々、自分の意見が間違っているのか・・・と思う事があります。
そんな時は、息子サイドの識者達と話をしますが、
彼らが今、口を揃えて言う事は、「声を上げる事をやめてはならない」という事。
確かに、事実を周知させる場があることで、
息子は精神のバランスをなんとか保っていられるのだと思います。

どこかで泣き寝入りして、諦めてしまう親だったとして、
「被害届を出したのがいけなかった」
「こうなったしまったんだから、違う部活をやれば良い」
などと言おうものなら、子供は、気持ちのやり場を失くし、
「とっくに自殺をしてるかも」と、こう言われます。
そういう事を言われると、息子を信じているつもりでも目が放せなくなり、
家族全員の行動も制約される。

12月には、座間市で中1の女の子が自殺したばかり。
全国的にそういうニュースがあれば、
学校も教育行政も、我が地域では、そんな事が無いようにと襟を正すのが通常ですが、ここが「どこ吹く風」なのは今に始まった事ではありません。

教育者という大人達に、追い込まれた上に、口を塞がれ、
近い人間までもが、諦めてしまったとなれば、
子供には、絶望しか残らないでしょう。

責任者の責を問わなければ、「教育現場の闇」は温存されたままとなり、
次の被害者も生むことになる。

しかし、何故こうまでして、「1人の子供を追い込むのか」
「市長と語る会」から思っている事ですが、「虚偽の報告」云々だけではなく、
安曇野市の「市政」が関わっているような気がするのです。
そのあたりも掘り下げていきたいと思っています。

文部科学省

【新定義】(平成18年度間の調査より)

本調査において、個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、
表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。
「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、
物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。
なお、起こった場所は学校の内外を問わない。

(注1) 「いじめられた児童生徒の立場に立って」とは、いじめられたとする児童生
徒の気持ちを重視することである。
(注2) 「一定の人間関係のある者」とは、学校の内外を問わず、例えば、同じ学校
・学級や部活動の者、当該児童生徒が関わっている仲間や集団(グループ)な
ど、当該児童生徒と何らかの人間関係のある者を指す。
(注3) 「攻撃」とは、「仲間はずれ」や「集団による無視」など直接的にかかわるも
のではないが、心理的な圧迫などで相手に苦痛を与えるものも含む。
(注4) 「物理的な攻撃」とは、身体的な攻撃のほか、金品をたかられたり、隠され
たりすることなどを意味する。
(注5) けんか等を除く。

「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を
受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」

本件で「いじめ」行為を行っているのは、全て「大人」。
文科省に近い県教委は、この「いじめの定義」をどう受け止めているのだろうか。

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