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今日はひとつ取り上げてみたいと思います。
息子が自分で暴行の恐怖を書いた、そのページに来たコメントです。
生々しい「暴行事件」
>でも、ふざけていたのは事実。周りは周り、自分は自分。自分だけ怒られた、ではなくて、むしろここで起こられる事によって人間として成長できたのではないですか?相手の非ばかりを責めるのではなく、自分自身の行動についても、もう一度焦点をあてて、省みるべきです。何事も冷静に行動しないと、かえって裏目に出ますよ。
この意見はコメ欄が荒れると思い、載せませんでした。
「怒られた」ではなく「暴行された」なのですが、
教師が生徒を怒ったくらいで、警察は動きません。
自分が未熟な人間が、子供を「指導」など片腹痛いと思いますが、
これは「指導」でもなく「暴行」なので、検察へ書類送致されています。
この方の中では、怒る=体罰=暴行なのでしょうか。
この方のロジックで行くと、
>でも、ふざけていたのは事実。周りは周り、自分は自分。自分だけレイプされた、ではなくて、むしろここでレイプされる事によって人間として成長できたのではないですか?相手の非ばかりを責めるのではなく、自分自身の行動についても、もう一度焦点をあてて、省みるべきです。何事も冷静に行動しないと、かえって裏目に出ますよ。
性犯罪の被害者に対しても、「短いスカートをはいているのがいけない」とか、
「服の胸が空き過ぎてるから、そんな目に合う」という意見も聞きますが、
こういう思考回路はどうにかならないものか。
ともすると、
>でも、ふざけていたのは事実。周りは周り、自分は自分。自分だけ殺された、ではなくて、むしろここで殺される事によって人間として成長できたのではないですか?相手の非ばかりを責めるのではなく、自分自身の行動についても、もう一度焦点をあてて、省みるべきです。何事も冷静に行動しないと、かえって裏目に出ますよ。
「犯罪行為」を「怒られた」と脳内変換してしまう事は、
非常に危険な事。このような考え方の人が、親だったら子供はどうでしょうか。
殴られ、悩み、学校に恐怖を抱いても、親が、
>でも、ふざけていたのは事実。周りは周り、自分は自分。
と、一刀両断にしてしまっては、子供は全く味方の無い状態の中で、
現状から逃げ出す為に、どんな行動をとるでしょうか。
家の息子は、「家出か自殺」と言っています。
「怒られたあなたが悪い」というのは程度問題。
私も担任から「こういう事で叱りました」と聞かされれば、
文句等言ったことはありません。
こういう方は、自分の子供が、教師に暴行されても、
子供に「あなたが悪い」と言うのでしょうか。
これを容認したら、次の被害者は、
自分の子供かもしれないということに何故考え及ばないのかが疑問。
自分と自分の子供は安全な場所にいて、野次馬的な発言をする。
「あの先生が暴行なんかするわけないでしょう!!」と私達親子を怒鳴った父兄がいましたが、この手の現実逃避癖の方に、どう対峙したものか。
私は、誰の子が息子のような目に合っても等しく許せるものではありません。
こういう父兄が多いと、教員が図に乗ると私は思うのです。
悪辣教員達は「どうせ許される」と思っている。
許されると思ったら大間違いです。
殴られて育っている人間は、体罰を容認する傾向にあると何度も書いてきましたが、
殴られる、殴る事が好きなら、夫婦間でも親子間でも好きにやっていたら良い。
しかし、日本は法治国家である。
一歩外に出たら、法を守り、社会にあってはルールを守って生活しなければならない。
この関連の教育関係者達は、教育公務員特例法にも違反し、
教員倫理を根底から疑うような事をしている者が多いですが、
日本の法を守れない人間は、違う国に行っていただきたい。
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