2013年4月29日月曜日

社体の入会お断り


「歩み寄っても駄目だった」と回答している父兄がいると新聞にありましたが、
私はこの方に「何もかも××さんの思い通りになったじゃないですか」
と言われました。

思い通り・・・。
「スポーツ保険の集金をしても領収書をもらえない。
保障内容もプリントが配布されずに教えてもらえない」
「部活の集金がどこに行っているのかすらわからない。
それの説明を求めた事が思い通りですか?」

すると、横から違う父兄が、
「いろんな事を疑問を思わない人とやっていきたいんです」
こう言われて、開いた口が塞がりませんでした。

「疑問」に思う事があれば「考える」「改善する」
これは、人間としての、「本能」または「醍醐味」だと思います。
この人種とは話しても無駄であるとも思いました。
どちらがモンスター・ペアレント集団であるか問いたいです。

保護者会長は、「社体」の入会を断ったのであって、
「部活」をするなとは言っていないと屁理屈を言っていますが、
その用紙には、「どの父兄にも電話もメールもするな、
訪問も許さない」とありました。

何の権限でそんな事を言えるのか知りませんが、
「社体」も「部活」もメンバーは同じです。

「これは部活の話なので、連絡します」
とかと、いちいち断るのでしょうか?
何のつもりでこんな勘違いを言えるのか知りませんが、
この方に対しても、白黒つける事にしています。
これを放置したら、このような勘違いをする方は、
他の子も、平気で差別をするでしょう。

この署名をした父兄の1人には、安曇野市の小学校の教員もいます。
明南小学校の教師です。

私は、県教委と話をしました。
「教師がこんな事に加担して良いのか」と。

県教委では、私の問題提起を、
「公務員としての『公権力の行使』なのか『私的経済活動』なのか話し合ったそうです。
私は、公務員たるもの、24時間「公務員」だと思いますが、
別にこの事を責めようというつもりはなかったのです。

県教委が、その教師の指導を軽くしてくれれば、
「総意」とやらの「署名」が崩れ、
「署名などをして、1人の生徒を排除する事はよろしくない」
という結論になり、息子のバスケットをする権利が戻ると思ったからです。

しかし、県教委は「私的経済活動」であるという結論に達し、
中途半端にこの署名問題を無視しました。

公務員を訴える場合、「行政裁判」となるわけですが、
この女教師の件も、「私的裁判」となるのか、今弁護士と相談中です。

私は、署名をした14名の父兄にも、
責任の所在を明らかにしていこうと思っています。

これに対し、教育委員長と県教委は「校長に早急に対応させる」と言っていました。
校長は委員長に「書類が揃い次第対応します」と嘘をついていました。
いかにも、私の書類が未提出だったような言い方で。
この社体入会書は、結局太田校長の手元に保留となり、
今も彼が持っています。








2013年4月28日日曜日

むすんでひらいて10 「また学校に」揺れる思い


「また学校に」揺れる思い

「生徒のため」願う大人のはざまで

※記事タイトルの文字径、色は筆者。


>「生徒のため」との思いは共通なのに、

と、記事にありましたがこれは間違いです。
生徒の為の教育的配慮があるのであれば、
ここまで長引く事も、弁護士が入ることもなかったでしょう。

全ては、校長の保身です。
間もなく、この者は、衆目の面前に引きずり出されることになります。


この日の話合い、詳細はここにあります。
この日の会合前日に息子は、一生懸命メモを書いていました。
色々すっきりさせ、気分よく学校へ行きたかったのでしょう。
息子のツイッターやブログが、「なりすまして私がやっている」
と吹聴している父兄がいるようですが、
息子は、自分の口で、何度も「自分でやっている」とどの席でも言っています。
それでも、誹謗中傷する輩は、傍聴し、生の息子の声を聞いたら良いと思います。

公開質問状
http://ameblo.jp/curaudo12345/entry-11463968639.html


この社会福祉士というのは、県から支援を受けているNPOの人間です。
会合がうまくいかなければ、予算カットとでも言われていたのでしょうか。
うまくいかなかった後での、私に対するツイッターでの罵詈雑言は、
スクリーンショットと共に、

子供ポストマン
http://pandemonium12.blogspot.jp/2013/03/blog-post_278.html

無視された質問
http://pandemonium12.blogspot.jp/2013/03/blog-post_7492.html


こちらに詳しく書いてあります。

私が「会合を滅茶苦茶にした」と言っているようですが、
「子供に対して謝るところは謝ってもらいたい」
と、私はそう言っただけです。

これも公開の許可を得ていますが、
この社会事業大学の社会福祉士の男は、
私が何か言うたびに「おかあさんの話す場所ではないですから!」
「おかあさんに謝罪する場じゃないですから!」
と、大げさに遮りました。

私は「私への謝罪?必要ありませんよ、今は、子供に説明して欲しいと言っているだけです」
と言いました。

すると又、この社会福祉士とやらは、「おかあさんに・・・」と同じ言葉を繰り返す。
この頃です、児童相談所の話も持ち上がっていたのは。

つまり、「私が子供を学校に行かせない虐待親」
という、シナリオが全てできていたのです。
ツイッターで怪しげに息子に近づき、見ず知らずのネットなのに、
「2人きりで会いたい」と息子を撹乱。
すべてデキレースだったのです。

息子を抱き込み、それに成功すれば、裁判も起きず、
学校サイドは一石二鳥だったという事。

この教育者もどき達の甘さと浅はかさを感じました。
当時、中一だった息子は、大人の汚さを勘で感じ取り、
この方達に騙されなかったという結果になりました。
子供は、教育者もどき達がたかをくくっているほど、馬鹿ではないという事です。










むすんでひらいて9 声をあげては駄目なのか・・・


声をあげては駄目なのか・・・

「うるさい親?」 思い悩む母親たち

※記事タイトルの文字径、改行、色は筆者。

この日の記事は、息子の話からは少々離れ、南信の特別支援学校の教師の実情や、
実際の被害が書かれていました。

長野県内には安曇野市のケース以外にも、学校や保護者同士の「擦れ違い」に思い悩む親たちがいる。
「いろいろ注文したから、うるさい母親とらく印を押されてしまったのでしょうか」(引用)

その被害を受けたお母様の言葉だと思いますが、

授業参観などで他の保護者から声が掛からなくなった。
「学校に行くのが怖くなった。独りぼっちなんだと落ち込んだ」。母親が保護者や地域と接点がない状況は、今も続いている。(引用)

となっていました。


記事の内容のひどさに驚きました。
「後ろを向かない為に画鋲」を椅子に仕掛けたり、
ペットなどにするしつけより更にひどいと思います。
自分が親にそうされて育つと、こんな事が平気になるのでしょうか。
市教委と学校はけじめの無い関係です。
そして、県教委も口だけは対応しても「処分」は甘過ぎます。
なので、教員が奢り、何の改善もされないのです。

こういう教員を排除していく方法を私はやっと見つけました。
先方は公務員。
事実であるならば、ネットその他で名前を晒し上げていっても、
名誉毀損には該当しません。
「根拠のない誹謗中傷」はいけません。
「事実」を書くのです。

父兄が、そのような対応をすれば、
教員は「襟を正す」という気もちではなく、
「全て暴露される」ということにおののいて、
保身に走り、ルールを守るようになるのではないでしょうか。
ここまで学校の問題が絶えず、定期的に少年少女の自殺の記事がかけ巡る。
父兄が、強硬な姿勢を取ることしか、教育行政は変わりません。





むすんでひらいて8 「保護者対応は危機管理」


「保護者対応は危機管理」

増えるトラブル 県内学校現場の苦悩

※記事タイトルの文字径、改行、色は筆者。

この日の記事には、校長が父兄に対して「謝罪文」を出す事が珍しい事。
それを校長は、
「どちらかが頭を下げないと着地点を見出せない。○○君に早く学校に戻ってきてほしい一心だった」(記事引用)
と記者に話したという事が書いてありましたが、
この「謝罪文」は、旧教育委員長に書かされたものです。

「○○君に早く学校に戻ってきてほしい一心だった」
などというのが本当なら、話し合いから遁走したり、
代理人を立てて、親子共々シャットアウトいることなどあるでしょうか。

学校は、代理人弁護士を立てた事を、
「受験シーズンの為だったので代理人を立てた」と言訳をしていますが、
この12月27日付の先方弁護士からの書類には、
「貴殿は様々な問題提起をしていますが、当職は貴殿から聞く事は何もありません」
と明記されています。

窓口になる代理人を立てたのではないのです。
私達親子を、学校・市教委から排除する目的のものなのは明白でした。
「××君に1日でも早く学校に戻って欲しかった」などと、取材には応じたようですが、
そういう教育的配慮が事実であるならば、
12月17日の話し合いも、太田校長は「遁走」する事などなかったでしょう。
現校長も、市教委から言い含められているのでしょうか。
息子は、今現在、2年になってからも登校はできていません。

私は、部活のトラブルが残っていると後々また問題になりそうで、
「新校長と、何のわだかまりもなく面談をしたい」と申し入れたのが、3月。
現在も新校長からはなしのつぶてです。

この12月27日付の弁護士からの書簡。
暮れで、家庭の用事があったので、
不在票を持って郵便局に取りに行ったのが、ぎりぎり31日でした。
私は、郵便局の駐車場で、この封筒を開き、
書いてある内容に、驚き、落胆しました。

「当職は貴殿から聞く事はない」
完全に排除だったからです。

大晦日の忙しい日、ダメ元で、その足で教育委員長の元に向かいました。
幸いお会いできたのですが、その時の会話は、
「校長が口がきけなくなってしまったので仕方ないです」
「じゃ、口のきけるまとも人と話をさせてください」
「そうもいかないし、貴女にも相談する人を紹介するから」
「いつですか?」
「年明け早々に」

こんな会話でしたが、
教育委員長は珍しく明らかに狼狽していました。

そして、私は3が日、とても迷ってしまったのです。
「弁護士を紹介」するという意味だと思い、
そういう申し出であれば断る事にしました。
そして、今まで何気なく訪ねていた委員長のお宅にも行かない事にしました。

教育委員長とは、公式の席だけでなく、何度となく話をしましたが、
私に弁護士など紹介してしまっては、
お立場が不味いことになるかと思ったからです。

内川議員が接触をしてきた時に、教育委員長の采配かとも思いましたが、
これは違っていたようです。

最近、元教育委員長と話しました。
委員長は、「どちらの味方をするわけでもないけれど・・・」とおっしゃったので、
「隠蔽に加担するような『嘘』だけはついてくださらなければ結構です」
と伝えました。

裁判にて、委員長がどんな発言をするのか、
キーパーソンの1人ですが、
今年の10月、市長選を控えている元委員長は、
「嘘」をつける立場にはないでしょう。

「教育に熱心「「子供の味方」「安曇野を変えたい」「新庁舎に反対する」
この元委員長の証言、注視したいと思っています。



むすんでひらいて7 ネットでの知り合い 支え


ネットでの知り合い 支え

深い付き合いの保護者  地域に少なく

※記事タイトルの文字径、改行、色は筆者。


今まで書きませんでしたが、今日は新聞記事にあった「議員」の話をしましょう。

長野3区の井出庸生氏、参議院議員の片山さつき氏の記事は以前書きましたが、
地元の安曇野市議会の議員・内川集雄氏もこの件に関わりました。

市議が私に接触をしてきたのが2月上旬。
「市議から連絡があると思います」という匿名のメールをもらったのは、
1月だったでしょうか。

それまでも、ネットでは一部話題になっていた息子の件、
「県教委と文科省に苦情を入れておいた」
「義家政務官が非常に興味を持っている」
「市教委との会話を送ります」等々、
私の元にはたくさんのメールが寄せられていたので、
どれが本当かわからない時期があったのです。

内川市議からは本当に電話が来ました。
市議は、「匿名の人から電話を聞いた」と言っていましたが、
私はその匿名の人と市議のメールのやり取りをいただきました。

公開して良いと言われたので転載します。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

Mailの差出人(送信)様


該当中学において、トラブルがあったというようなことを
聞きましたが、詳細までは存じておりませんでした。

親御さんは、学校は安全で安心して通わせる場所と考えていると思います。(私の考え)
そんな場所で、先生が生徒に暴力とは。あってはならないこと。

私自身も、豊科中学2年のとき、理科の時間中に仲間とふざけていてわたしだけが、
○池先生にみんなの前で往復びんたをもらい倒れたことが、
いまだに悲しい思い出となって残っています。(今から45年程前の違いはあるが)

経緯、詳細について知らなかったことは、私自身反省するところです。
申し訳ありません。
経緯、詳細について早急に確認いたします。

安曇野市議会議員 内川集雄

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

これを読んで、驚いたと共に、とても嬉しかったのです。
45年前の、もう既に亡くなっているかもしれないような教師に与えられた痛みを憶えている。
この人は、息子の心の痛みを理解してくれる方だと思いました。

電話で、翌日の面談の約束をし、ファミリーレストランで会いました。
まずは市議に、「この件を知っていたか御存知なかったか」を聞きました。
すると、「教育委員会から市議会に『モンスターペアレント』が騒いでる、という内容の報告はあったが、『ちょっと一方的だな・・・』と思いました」
との事でした。

淡々と事実を話し終わり、「これでも私はモンスターですか」と聞きました。
「いや、子供を守るのは義務だと思います」と言われホッとしました。

その日に話した事は、「議会の中で力があるわけではないので、
まずは議長に話をして緊急議会を招集させろ」という事と、
「2月開会の議会で、3月12日から自由質問があるので、
この件を取り上げる」という事でした。
私も、議会を聞きに行く約束をしました。

内川市議は、その日のうちにツイッターにて息子をフォローし、
「君の為に頑張る」とプライベートメッセージを送ってくれたそうです。

その後、内川議員は2月22日に教育長に会うので、
「学校へ行く」と断わり、すぐに校長・教頭に会いに行くと言っていました。
その後、またお会いしましょうと。

私も言われた通りに、堀金の市議会本部に行き、議長と会いましたが、
こちらは、ネットなどわからないご高齢。
「校長に会った時に言っておくで」
「教育委員会が違憲行為に加担しているという認識を持ってもらいたい」
「議会の福祉教育委員長から連絡させます」
もたもたゆるゆるとした会話で、事の重大さがわかっていない事が伝わってきました。

そして、福祉教育委員長とやら電話がかかってきました。
安曇野市の福祉教育委員長がどなたかは、市のHPでわかりますが、
5分も話さないうちに「忙しいので切っていいですか」と言われました。
「話を聞きたい」とかけてきて「切っていいですか」・・・?

私は、「そもそも電話で済む話ではないので、時間を取ってください」
と言いました。
「わかりました」と言ったきり、現在でもなしのつぶてです。

内川議員は、学校にも行かなかったようです。
最後に電話で話した時、「自由質問もできなくなりそうだ」と口を濁して言っていました。
結局、圧力でもかかったということでしょうか。
「新聞取材を受けているのが本当なら、記事になったら言う」
とも言われました。
「記事になったら言う」新聞の後押しがなければ、
議会で発言できないような議会など、聞いた事がありません。

自由質問の3月12日から14日にまだ記事にはなっていなかったわけですが、
内川議員は、今回の連載を受けて、どう思われたでしょう。

約束を履行しなくても、子供との約束を放置しても、
議員ではいられるわけです。

安曇野市の地方行政・教育行政・・・こんなものです。
市長と語る会で、直接親子で訴えても市長は無視。
教育行政の長である教育長は校長に加担。
息子の事を一生懸命にやってくれた教育委員長は、今は任期が終わり萱の外。
28人もいる議員はこの状態。

ましてや、FACE TO FACEで意見交換しているのですから。
地方行政などこんなものなのでしょうか。

今年は市議選もあるので、教育問題に力を入れてくれる議員に投票したいと思っていましたが、
議会自体がまともに「機能」しているとは思いません。
ズブズブで、何の問題提起もなされませんでした。



2013年4月27日土曜日

むすんでひらいて6 生徒の思い気付かず


生徒の思い気付かず

「倒された」3か月後の告白



暴行事件
僕は去年の6月19日にされた事とこの前しかとされた質問を書きます。

http://ameblo.jp/curaudo12345/entry-11463968059.html


暴行教師の報告書
6月19日の事について
http://pyonpyon1234.xanga.com/772389730/%EF%BC%96%E6%9C%88%EF%BC%91%EF%BC%99%E6%97%A5%E3%81%AE%E4%BA%8B%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/


私の感想
「報告書」に対する事実
http://pyonpyon1234.xanga.com/772390310/%E3%80%8C%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%E3%80%8D%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BA%8B%E5%AE%9F/


これに関しては、「よくもまぁ・・・」という感じです。
肩が当たっただけで書類送検などあり得ないと思いますし、
なぜ息子が3か月も黙っていたか。

息子はこの顧問に「あの事喋るなよ」と脅されているのです。

それプラス、一学期に元気に登校したとありますが、
息子は、次回の暴行に備えて、はさみやコンパスを携帯し、
精神的にはギリギリの状態で登校していました。
なので様子がおかしくなり、家でも緊張状態が続くようになり、
PTSDの検査、治療という運びになっています。

「暴行事件を発端として何かが起きてはいるので、検査・治療中」
という診断書を信大からいただいています。

当日は、足を引きずっていて、自転車に乗れずに帰ってきたのを、
3キロ近くの道中、何人もの人が目撃していますが、
息子は「部活で転んだ」と言っていました。
暴行教師の報告書には、
「怒られて本当の事を言って、清々しく自転車で帰って行った」とありますが、
逃げるように自転車に載ったものの、腰が痛くて運転できなくて、
校門の外ですぐに下りたそうです。

「警察に行く」
突然、この事を言いだしたわけではありません。
9月24日の朝、校長・教頭・私・息子で「謝罪の会」とやらがありました。

9月13日、私に宛てて始末書が出ましたが、
「私にではなく、息子に謝っていただきたいですが・・・」と言った為です。
親に土下座しようが始末書を出そうが、
それは大人対大人のことかもしれませんが、
学校に通うのは息子だからです。

新聞には「よく登校してきてくれたね」とありますが、
言葉尻を取れば、それは事実です。

明後日の方を向いて、ヘラヘラと。
「よくきたな、なっなっ」という上からな感じで、
私は、それが謝罪ですかと言いました。

息子は、蒼い顔で校長を睨み上げ、「校長の言葉は信じない」ときっぱり言いました。
そして私が、「当の教師は謝罪をしないのですか」と聞くと、
「今日の夕方、大屋を交えて謝罪の会をやり直します」と言われました。
そして、当日、7時過ぎまで待った私達に担任の先生も付き合ってくれました。

あまり遅いので担任が駐車場を見ると「校長の車がありません・・・」
息子も見に行き「大屋の車もない!」

そして、すっぽかされた怒りで「警察に行く」という話になったのです。
息子は、校長と教頭の前で
「今度暴力をふるったら、警察へ行くからな」
と暴行教師に言い放ってやりたかったから、
すっぽかされて警察に行く決心がついたと言っています。

新聞記事が、出鱈目なわけでもありませんが、
事象が複雑過ぎて、端折るしかなかったのだと思います。







2013年4月25日木曜日

社体への警察介入


12月17日、市教委で校長と話し合うはずだった私は校長にまたも逃げられ、
夕方、安曇野警察署にいました。
息子の暴行事件を担当した刑事さんと向き合っていたのです。

11.25 教育委員会・・・何度目?
http://pandemonium12.blogspot.jp/2013/03/1125.html


11月25日、
この日に約束された会合は、後日教育長からの電話一本でお流れになりました。
校長が倒れて無理になったという一方的な電話でした。
ガチャ切りです。

暴行事件が新聞に掲載されたのが12月8日。
その夕方の出鱈目な説明会を受けてブログを立ち上げたのが12月9日。
ブログを知って、校長は倒れたのです。

ブログはGoogle検索ではかかりにくいアメーバにしました。
裁判所に削除申請される前に全てを明らかにしたかったからです。

警察によると、翌日には学校の耳に入っていたそうです。
教頭は、10日に「名誉毀損だ、これから市教委に電話する」
と言ったと刑事さんから聞きました。
興奮して段階も踏まずに通報した教頭の様子が見て取れる一言でした。

この12月17日、息子は朝、担当刑事さんに会いたいと言いました。
ツイッターを始める前、悶々としていた時期です。
アポを取った後、時間ぎりぎりになってから、息子は、
「やっぱり誰にも会いたくない」と言い出し、私1人で出かけました。

警察に赴いた私は、社体からの入部断り署名を見せ、
「やっと送検されたのに、こんな事になってしまった」と愚痴りました。
何でこんな不条理がまかり通るのだろうと・・・。

息子は被害を受けた。
そして、届を出した。
加害行為があったので送検された。
全て当たり前の事です。

刑事さんは謝らないことの異常性を口にしました。
どこで誰が批判しようと、直接自白を調書にし、
実況見分の陣頭指揮をとった人です。

それをネットでは、「警察に圧力をかけたから」
「新聞社を脅したから」と書かれ、刑事さんと苦笑しました。
その前にも「教育委員会を脅して始末書を取った」などとも言われており、
担任とも「どこの大物母なの?」と話した事もありました。

この日、担当刑事さんは意外な事を口にしました。
「部活の件、全部自分に任せてください」と。
「被害受けてこんな事されたんじゃ、あまりにも××が可哀想だ」と言われました。
自分の子供の事をこうも気にかけてくださる方がいて有難いと思ったのですが、
何故か冷静に「そんな事、職務外でしょう?」と言ってしまいました。

私のブログの件で教頭からの通報もあり、
私からのネットでの誹謗中傷の相談もあり、
今後の被害届の応酬も目に見えていた時期でした。

刑事さんが言うには
「同じ町に住んでいて、こんなにこじれていつ出動するハメになるかわからないから」との事。
私は「会ったって手を出したりしません、何かあったらすぐ通報します」と言いました。
すると刑事さんは「あなたがやられる側とは限らないでしょう」と言い、
それで妙に納得し、部活の件は刑事さんに任せることにしました。

いいかげんな人間に騙され続けた息子が、
また人を信頼して落胆するといけないと思い、
「本当に預けていいんですか」と何回も聞いてしまいました。
しかし、「事前の事件防止も警察の仕事」だと言われ、「上に話を通す」とも言っていただき、
息子にも「警察が関わってくれるから大丈夫」だと告げました。

刑事さんは、
「なんなら警察署で保護者会をやりますから」とまで言ってくださいました。
しかし、相手のある事です。
刑事さんは、何度も保護者会長に電話をしたそうです。
実はこの二方は顔見知りなのです。
保護者会長が新聞掲載前に、
私が言った暴行事件を信用せずに、警察へ行っているからです。

これを私がネットで言われている言い方をすれば、
保護者会長夫婦は「警察に押しかけた」とか「刑事を脅して聞き出した」とかいう事になるでしょう。

年度が変わり、「今だから書ける事実」を全部書きたいと思っているので、
つらつらと思っている事を書きました。

保護者会長がこの刑事氏に最後に言った言葉は、
「××君には可哀想な事かもしれないが、自分が冷静になれない」
だそうです。

何の事はない、私を一方的に憎むあまり、
「自分」の為に息子を犠牲にして、部活から排除したのです。

私にとっては校長に騙されただけの、
単なる言いなり父兄の1人でしかなかったのですが。

この夫婦との裁判も夏前には始まると思います。
この保護者会長からの「回答書」もアップしますが、
直接顔を見て聞いてみたいと思います。

色々なニュースのイメージで警察は駄目だと思っていました。
しかし、男前な気骨の持ち主もいました。
感謝してもしきれません。


むすんでひらいて5 「練習試合中止」深まる溝


「練習試合中止」深まる溝

「参加できない部員が・・・」投げ掛けた疑問


7.30と7.31の出来事
http://pandemonium12.blogspot.jp/2013/03/81.html

8.1校長と差しで話す
http://pandemonium12.blogspot.jp/2013/03/730731.html

8.3騙された保護者会
http://pandemonium12.blogspot.jp/2013/03/83.html



新聞記記事にはありませんでしたが、一学期末に、
「夏休みの部活計画表」というプリントがきていました。
追って写真をアップしますが、
曜日ごとに「社体の活動」「部活の活動」というように、
きちんとカテゴリーが分かれていたのです。

なので、社体に入っていない子、
家のように入ったものの参加をどうしようか考えている子は、
「社体」のくくりの行事には参加できないのは、元々承知でした。

しかし、問題の日の試合は「部活での参加」となっていたのです。
部活の対外試合といえば、「学校行事(に準ずるもの)」という感覚だったのですが、
それを部活父兄の胸三寸で、

「社体で行く事にしましたから、入ってない人は遠慮してくださいね」
保護者会長奥方からの突然の電話に驚きました。

「学校行事を父兄の自由に・・・?」

新聞には書かれていませんが、私の疑問はそこです。
社体と部活の関係。
「部活」の試合も全部こうして「社体」という事になってしまっては、
部活に入っていても意味がないのかな・・・とも思いました。

当時社体のしくみがよくわかりませんでしたし、
部活の試合を社体にする・・・などという事が往々にしてあるなら、
社体にも入っていた方が良いな・・・と思っただけで校長に質問したのです。

この試合の件、校長は社体に入っていない子を差し、
「排除される子がいてはならない」とキャンセルしました。
「ただ部活で行けるように戻せばいいのでは?」と言いましたが、
断固キャンセルと言ったのは太田校長です。
よくわからないシステムなので、それ以上の話はしませんでした。

8月1日の校長との面談は、実は別件だったのです。
顧問からの暴行や、それを隠蔽したいが為の顧問からの脅迫などで
「武装」して学校に行っていた息子には円形脱毛症ができ始めていました。
その時は暴行の件は1人で抱えていたわけですが、
精神的に追い詰められて髪が抜けたと思われます。

円形脱毛は顕著でしたが、精神的なものなので、
「すぐに校長先生が解決してくれるからね」
と言ってあげたかったのでこちらから学校へ赴いたのです。

なので、7月27日の面談の際に、
「新顧問は夏休み中に解決しましょう」と合意した事を、
思ったより息子は思い悩んでいたようなので、
「早期解決を」という話をしに行ったのです。

校長は8月1日、「顧問を外す緊急保護者会を開く」と言ったにも拘わらず、
翌々日の保護者会では、丸ごと私を騙しました。
その録音ありきで、9月12日の始末書に至っています。

保護者会長の奥方に怒鳴られて帰れなくなった挙句、
5時間も拘束され、末っ子の喘息発作まで起きた。
これも新聞にはありませんが、5時間経過した夜9時に、校長に向かって
「いいかげんに開放して欲しい。あなたみたいな嘘つきは初めて見ました!
私はあなたの嘘を証明しますから」
と、無理矢理席を立って出たのです。

今もって何故こんな話になっているのかわかりません。

8月3日、太田校長が、
「諸々の非違行為により、今年度の顧問は下ろすことになりました」
そう言えば良かっただけの話で、
反省させ、来年度また顧問に復帰させれば良かったのではないでしょうか。

新聞記事だけでもわかると思いますが、
この校長は自分の職務である教員の配置を、
保護者会に丸投げしたのです。

学校運営、教員や用務員の配置は、2011年度に民主党が相当改訂しています。
校長は、学校内で職員の配置を国から任されているにも拘わらず
「父兄の意見を聞く」という形で自分の責任を放棄しました。

なので、保護者会も自分達の思い通りになると奢ったのではないでしょうか。
私は、最初から「非常識な教員に対する校長からの指導」を求めただけです。

今豊科北小学校に異動したそうですが、
この校長の元では「担任」「顧問」「用務員」
全てが『父兄のご意見で』ということになるのでしょう。

自分が与えられた権限を扱う事ができず、
何の決定もできない体たらくを「皆さんの意見を聞いて・・・」
という話にしているだけです。




むすんでひらいて4「差別では」強まる不安


「差別では」強まる不安

1人だけ連絡先が空欄の名簿

※一部引用、改行、色は筆者。

昨年7月17日、安曇野市内の中学校に通う男子生徒(13)は、
同じ男子バスケットボール部に所属する同級生から学校で「これお母さんに」
と渡された封筒を持ち帰った。

帰宅した後、開けて見ると、なかにはA4判1枚の名簿。
生徒は少しの間眺めて、その場で泣き出した。
自分の名前の欄だけ、保護者の連絡先やメールアドレスが空欄だったからだ。
「仲間はずれにされた・・・」泣く息子を隣で見ていた母親(49)はこう思った。

「これはまるで差別か、いじめじゃないの」
名簿にはバスケ部顧問だった男性教諭とコーチ、部員15人の名前が並ぶ。
保護者の固定電話、携帯電話の番号、メールアドレスが記載されている。
3年生部員が引退したのに合わせ、
男子バスケ部の保護者会も1、2年生の新メンバーの名簿を作り、
7月15日、初会合で配った。

※新聞記事を全文読みたい方は、過去の各新聞のPDFを配っているサイトがありますので、
そちらで取り寄せて下さい。




この記事を読んだ時、母親の我儘(?)と思われるだろうな・・・と思いました。
事実なのは確かなのですが、記事がまとまり過ぎているというか・・・。

「すぐ作り直してくれなかった」
「受け取らなかった」

このあたりで、ただごねているような印象を受けられた方も多かったのでは・・・と思います。
名簿の件は一貫したこちらの要求に対して先方の言い分が多過ぎて、
記者さんはまとめる事に困っていました。
取材以外でも執筆中、何回か電話をいただきました。

この名簿だけではないですが、
話が複雑過ぎていて、第三者にはわかりづらい事です。

まず訂正しますが、保護者会に「運動部の在り方に疑問を持ち始めたため、欠席した。」とありますが、ここは違います。
「『部活』の保護者会なら出ますが、『社体』の保護者会なら、よくわからないので欠席します・・・」と、担任と学年主任の同席の元で言いました。
当然学校での事ですが、(昨年7月10日)その日、社体とやらの実態を、顧問・担任から言われ、誰が主催している何の為のものかわからなかったからです。

この件では他ブログが炎上するような議論になっていますが、
(ご迷惑をかけていた事を昨日まで知らなかったのですが、申し訳ありません)
私という当事者から言わせていただくと、簡単な話なのです。


私が「書類を提出していないのに怒った」「保護者会に参加していないくせに怒った」という事でしたが、書類は最初からもらっていません。

新聞記事とは違い、保護者会との「渡した・渡していない」の話は既に終わっています。
私がもらっていない事を証明する事実を第三者の証言を元に提示したからです。
その件を保護者会がまだ言うのなら続きは法廷で明らかになります。

裁判は名簿だけの事でもないのですが、
保護者会長や部長との裁判では、この話も否応なく出る事でしょう。

当時の保護者会の釈明では名簿を作るにあたり、
私の固定電話、息子のおばあちゃんの家に何度も電話をしている、
と言われて自分でも確認しましたが、着信履歴などありませんでした。
今の電話機は知りませんが、家の骨董品のようなFAX付きの大きな電話機は、
削除機能がなかったようで、100件からの着歴が残っていたのです。
母が言うには、「1回誰かから電話があり、不在だったので携帯を教えた」
との事です。

これとは違う6月の最初の保護者会に出なかったのは、
今高1の、当時3年の引退前の部長から、
「社体の説明しかないので、末っ子君の体調が優れないなら無理して出なくても良いですよ」
と連絡をもらっていたからです。
この旧部長とはCメールでもやり取りしています。
記録は残っています。

その他の件のやり取りも残っています。
飲み会?打ち上げ?どちらだったか定かではありませんが、
メールでお誘いを受けました。
これも末っ子の誕生日だった為に断わってしまいました。
6月10日。
断わったにも拘わらず、「おめでとー、また誘います!」とメールをいただき、
「気さくな保護者会」という印象でした。

旧3年の保護者さんとはこんな感じでした。
その旧3年が引退し、旧2年が保護者会を仕切るようになってからおかしくなったようです。
「やっと目の上のコブがいなくなって自分の時代」と思っていた所に又
私のような「コブ」ができたということだったのでしょうか。

しかし。書類の有無、もらったもらわない、そんな事は争点ではなかったのです。
家の息子の欄がカラの名簿が出たのは、
暴行顧問に許可を取ったと昨年の部長は言いました。
なので、私が責めたのは暴行顧問だけでした。

何度も催促した上で、やっと8月末に新名簿ができたようでしたが、
教頭と暴行教師が届けに来るとの連絡がありました。
私は、教育委員会との話の中で「暴行教師は顧問から外す」との内々の話を聞いていたので、
「暴行教師の名の外れた名簿を又間もなく作る事になると思うので、
今回の名簿は預けておきます」
と言い、しつこく届けるというのを拒否したのです。
この時の教頭とのやり取り。

最後には「家にいなくてもポストに入れますから!」
「さんざん催促しても作ってくれなかったのに『渡してある』的な既成事実とかいらないんですけど。教育委員長に怒られるからですか」
いちいち逆撫でするような教頭のものの言い方にうんざりしました。

それとこの時、この者達にはもうひとつの目的があったのです。
後に証言などで合致した事ですが、
私が昨8月1日に校長に見せた「息子の円形脱毛症」
それが事実かどうかこっそり確認する事だったようです。
教頭のその行動は特に犯罪でもいじめでもなく、
この方達の「いやらしさ」を強調する事実に過ぎませんが。

名簿の件でその後、
保護者会長と部長と何度も話にのぼったのは
「事情がわかったのに新名簿を作らなかった事」
当時、これを「差別」だと思ったのです。
未だに名簿はもらっていません。

それにしても、今から思うとおかしな話なのです。
あの名簿は、「学校の部活」の名簿でした。
何故なら当時、社体に入っていない子の名前も載っていたからです。

それを学校は「保護者会が勝手に作った」という。
学校が知らずに、保護者会が作ったというなら、「学校の監督不行き届きですみません」
そして即再発行すれば良かったのに、
8月24日の学校訪問の際に名簿の話をすると、教頭に「まだ言うか!」くらいの対応をされました。

「まだ・・・!」という言葉は使っていませんが、
「8月3日の保護者会で謝りましたよね!」という言葉だったと思います。
私は、「謝るとは、新しい名簿ありきですよね」と言いました。
そして、8月末、新しい名簿を届けるということになるわけですが、
内々の話通り、正式に顧問を外すという話が教育委員会から来たのは、
8月31日です。

うまく表現できませんが、国がこれをどう判断するか判決を待ちます。

これから始まりますが、
着信履歴・通話記録・学校とのやり取り・録音・文書、全てが公になっていきます。


新しい名簿がすぐに出ていれば、私も息子もここまでの思いにはならなかったでしょう。
学校にも保護者会にも何度言っても出してもらえなかった。
とぼけ続けて意地でも出さないという感じでした。

批判者との議論には及びません。
真実は1つだからです。

太田校長は市教委に依存して、公務員の特権で弁護士を立てました。
私は、それを受けてこちらの弁護士を前面に出しましたが、こちらは全部自腹です。

本件の総裁判は10件を越えると思います。
だれが好き好んでこんな事を。

















2013年4月24日水曜日

むすんでひらいて3 「揺らいだ学校への信頼」


「揺らいだ学校への信頼」

ボール代個人負担めぐる説明

この日の記事には、この2件のブログ記事の事が書いてありました。

※記事の文字径、改行、色は筆者。

※新聞記事を全文読みたい方は、各新聞、過去の新聞記事を
PDFを配っているサイトがありますので、そちらで取り寄せて下さい。


6.27ボール騒動
http://pandemonium12.blogspot.jp/2013/03/627.html

7.9顧問からの初電話
http://pandemonium12.blogspot.jp/2013/03/79.html



新聞記事と照らし合わせて、
自分が12月に書いた2つの記事を読んでみました。
12月当時は怒り心頭でした。

暴行事件の説明会で憤り、更にそれに端を発して「社体入会お断り」なる署名を受け取った後だったからです。

今は、教育行政というものにただただ呆れかえり、
関係者に正当な裁きが下れば良いと思っています。
暴行教師の起訴だけではありません。
関係者全員の違憲行為・権利の侵害に関してもです。

今だから言える話ですが、
記事中に「校長は帰校後、担任と顧問から『電話の件は謝罪した』と報告を受け」
と書いてありますが、その日の2人の報告は、
顧問だけが「自分と担任のトラブルを解決したかのような1人で喋っている報告だった」そうです。

当時、担任に質問されました。
「おかあさん、何か私にお腹立ちだったのですか?」
何を言われているか一瞬わかりませんでしたが、
あまりの「自分の関係ない」ような報告に担任も疑問を持ったのだと思います。

結局、顧問は自分の「ボール集金・父兄への泥酔電話・部活の喫煙しながら指導」
それらを全て「担任の対応が悪いから、父兄が学校に苦情を言った」
という報告にしたのです。

その時に持った疑問です。
この無理矢理な小学生のいたずらの言い訳のような口実が
まかり通ってしまうのが学校なのだろうか・・・。
この1年、旧担任の先生と何度もこの話をしました。

「あの時に先生が『それは違う』って言ってくれたら良かったのかも・・・」
「私は同僚を売るような事をしちゃいけないと思ったんです」
「そうですか・・・」
「・・・」

現担任も新学期になってから何度か連絡をくれましたが、
旧担任の二の舞にしてはいけないと思い会っていません。

校長が関わる問題だからです。
「校長」というのはどこも、こうも父兄と会わない雲の上の人なのでしょうか。
私は、教育現場の長としか思っていませんが。

旧担任は「担任だから生徒の為に」と校長と話し、逃げ回られて
教頭や暴行教師グループにパワハラを受け続け、
何回も病院通いをしています。
気の毒な事をしました。


2013年4月22日月曜日

むすんでひらいて2「『事実知って』ブログ開設」

「事実知って」ブログ開設

「事件」の説明会  発言遮られた母親

この日の記事では、出鱈目な説明会の様子が書かれていました。
余の一方的な発言で、私は説明会の翌日からブログを始めています。

※一部記事引用


○○講師「○○教諭が自らフャイルを地面に投げつけた。
○○君に「『拾え』と言っていた。蹴ったり、紙ばさみで殴ったりは一切してない」

○○講師「『拾え』と言ったのは覚えている。蹴ったりはしいない。」

○○教諭「まったく記憶にない」

生徒は新入部員で当時、身長150センチ弱。
一方、顧問は生徒よりかなり大きい。ぶつかった際の詳細について生徒は「タックルされた」との認識を持っているが、顧問や講師らの報告を受けた学校側は否定している。

※改行、色は筆者。



記事を読んで、改めてあの説明会の状況を思い出しました。
刑事さんにも、「何で説明会に××を連れて行ったの・・・?」
と息子を傷つける結果になった私の行動を責められましたが、
これは、私が本当に馬鹿だった。

その日、私たちは、意気揚々と出かけて行ったのです。
なぜなら、
「学校が事件を認めて新聞沙汰にまでなった不実を全父兄に謝罪する」
と思ったからです。
「たいした事がなくても書類送検をされる」などという非常識な言い訳は、
私たちには想像もつかなかったからです。

どうせ、校長は、9月1日の会合の時のように明後日の方向を向いて、
クタクタとした謝罪しかしないだろうとは思っていましたが。

私は、息子と校長の真正面に座りました。
そして、説明が終わり、声を上げた時に教頭に怒鳴りつけられました。
「あなたと議論する場所ではないですから!!」
それもマイクで。
上から。

この説明会の日、体育館には椅子の用意も無かったのです。
大きく敷いたゴザの上に、全父兄が座りました。
教員達は向かって左側に全員立っていた。
そんな状況だったので、上から怒鳴られた印象を受けました。

この教頭は、今年も異動はありませんでした。
ネットでも顔までおなじみの人です。

この教頭は、本件とは別件で「私」に対するトラブルがあるので民事訴訟をします。
その他にも私とは直接関係のない事で、
地公法の刑事処罰のある項目にも違反しているので、
今後、細かく取り上げていきます。


この「まったく記憶にない」にと言った教師。


「見ざる言わざる1年2組」
http://pandemonium12.blogspot.jp/2013/03/blog-post_7519.html



昨年の人権月間の『人権係』だった教師。

この男は、昨年の9月、暴行事件が明らかになった際、
わざわざ私に「おかあさん、大変でしたね、上から話が下りて来ないんですよー」と、
白々しく語りかけています。

警察には「そばにいたけど、よく見えなかった」と証言しました。
私は警察と共謀正犯の話しをした折りに、
「あんなにそばにいて見えてないわけがない」と言われています。

そして、新聞記事の説明会の日、この男は駐車場係をしていて、
私と直接話しています。

「あなた、謝らなくて良いの?××は謝ってほしいって言ってるだけなのに?」

マスクに帽子、眼鏡で人目から身を隠すように車の誘導をしていた手を止め、
この男は私をまっすぐに見つめ、「何の事だかわかりません」
と、言いました。

弁護士からの文書には、
「そばで見ていた教諭たちからの証言で『暴行』ではなかった」と書いてあります。

「よく見えなかった」
「見ていたけど暴行ではない」
「覚えていない」

この二転三転する証言。

学校は、教育委員長から「補習計画を立てろ」と言われた折り、
この男を数学の教科担任に入れて来ました。

なので、一言軽く「ごめんね」くらい言ってから授業に入って欲しいと言った事を、
私の「感情的理由」と「息子の勝手な事情」で補習に出なかった事にされています。

息子は、回りで見ていた教師達には、「止めなかった事を謝ってほしい」
そう言っただけです。

ここまで、シラを切り通す事が教育者でしょうか。
この教師にも子供がいるそうです。
自分の子が、やがて大きくなってネットを見たり、
自分の父親の出廷記録を見る機会があれば、いつか知る日が来るでしょう。







むすんでひらいて1・ツイート「僕は被害者」



4月8日から、地元紙・信濃毎日新聞にて、息子の件が10連載されました。
信毎WEBの方には載らない記事だそうです。

この件は、2月の初旬から、10回以上にわたり取材を受けましたが、
この時期の私達親子は、マスコミに不信感を持っていました。

実はこの頃、ツイッターの影響などで
NHK・フジテレビ新報道2001・朝日新聞その他の取材も受けましたが、
お蔵入りになっているのです。

理由は、「複雑過ぎる」
桜ノ宮直後の報道陣は、「単純な体罰問題」を求めていたのです。

フジの時は、
系列の「長野放送」が県内から取材に来ると思っていたのですが、
東京本社からやって来ました。

桜ノ宮の件を受けての特番、文科省・義家政務官がゲストに出演する会の取材でした。
息子の気持ち、私の感情を赤裸々に教えて欲しいと、
インタビュアーの他にカメラマンも来て、話だけではなく、
近くのバスケットコートで、延々1人でシュートを続ける息子の姿を撮るなど、
取材の総時間は、7時間かかりました。

記者は最後に、「××君が学校へ行ける後押しになる番組にしますから!」
と、帰って行きました。

私は、自分の子供を全国テレビに晒す事に抵抗がなかったわけでもないですが、
取材の時は、息子の映像は顎から下のみ、家の外観も撮らないということで、
どんな糸口でも息子の問題が解決の方向に向かえば・・・と思い、
「長野県」のどこの誰だかわからない仕上がりにするいう事でOKをしました。

全国的には長野の誰かはわからなくても、
県内の当事者達は、「これ以上の大事にされては堪らない」と、
火消しに走る・・・すなわち解決すると思ったからです。

何度も指示を飛ばしてくださった知事には申し訳ない事ですが、
この時に一番意識をしたのは阿部知事です。
テレビ放送されれば県教委に、「長野県の恥を晒すな」と
更なる檄を飛ばしてくださるに違いないと思ったのです。
秘書さんによると、知事もこの件には胸を痛めていらしたそうですが、
地方行政には「強制力」がないのです。

知事は自分の発した、
「いじめをなくそう~共同メッセージ~」を読んで助けを求めた子供を
今現在はどう思っているでしょうか。

しかし、結局番組は没になり、
私達親子を支援してくださる方達と一緒に落胆しました。

当時はNHKも、裁判が始まってから後追いするという事で、今は番組にしないという事でした。
フジ以外の局や週刊誌は、
「裁判の流れも追いたい」「もっと大系で見ていきたい」という事でしたが、
「今起きている問題」よりも、『起承転結までを描きたい」という印象で、
その後の取材は、とりあえず待ってもらっています。

フジのインタビュアーの方は顔の知れた人で、私と息子の話をよく聞いてくださいました。
プロデューサーとかけあっても番組にできなくて申し訳ないとの連絡がありましたが、
ひとつとても感謝している事があります。

取材の当日、日が暮れた頃に「学校に取材したい」と言い出したのを、
「どうせ取材など受けるわけはない」と止めましたが、
「受けなくても、『報道2001』が来たというだけで、学校には圧力になると思いますよ」
と言い、ダメ元で取材に行ってくれたのです。

その取材の対応に学校は慌てて、
「明日、対応するかどうか返事をする」と言って記者らを一旦帰らせました。

なので、フジテレビは一晩安曇野市に留められる事になったわけですが、
この記者さんの思惑は、当時は「当たり」でした。
学校サイドは相当慌てたようです。

ただ、この学校の旧校長と現教頭のやる事ですから、
またこれが的外れで、
このブログでは何度も出ているツイッターで遁走した「子供ポストマン」を導入し、
結果はご存じの通りです。

そういえば、学校が慌てふためいていると教えてくれたのも「子供ポストマン」でした。
自分で確認としたわけではないので、
本当かどうかはわかりませんが。

3月初頭にこちらの弁護士から
「今は、ブログに色々書くのを待とう」という提案があったので、
更新をしない時期もありました。

私たちは地元信毎のカラー連載になるのを知っていたからです。
そこで、取材を受けている詳細などをブログに綴れば、
どこから圧力がかかって記事が潰されるかわからないので、
今までは、忍の一字。

今、新聞連載も一段落したので、今年起きた事、現在どうなっているかを、
書いていこうと思っています。

※記事の文字径、改行、色は筆者。


ツイート「僕は被害者」

通えない安曇野市の中学生県内が県内外の反響

「君が思ってることを、つぶやいたり、ダイレクトメッセージで送ってくださいね」
(1月9日付、阿部守一長野県知事)

「あなたは被害者だと思います週明けに関係部局に連絡します。
明日は良い一日を。明けない夜はありませんから」
(1月27日付、片山さつき参院議員)

「君」や「あなた」は長野県安曇野市内の中学校の男子生徒(13)を指す。
阿部知事や片山議員の言葉は、この生徒が1月8日から始めたインターネットの短文投稿サイト「ツィッター」への反応だった。

その初日、生徒はツィッターへの「ツィート(つぶやき)」にこう書いて、阿部知事と、
いじめなど教育問題について発信していた片山議員のツィッターに送った。

「僕はこの事件の被害者です。やった先生も校長も一切謝らない。
校長は僕から話も聞きもしないで学校から追い出した」

この生徒と学校の間で大きなトラブルがあったのではないかと推測させる内容。

(中略)


母親も教諭の送検後からブログ(インターネットの日記風サイト)を立ち上げ、こう書いた。
「息子を支援してくださる方々に対し、感謝の念に堪えません。顔に赤みが戻ってきました。
この場を借りてお礼申し上げます」(1月16日付)

(中略)


4月、生徒は2年生になった。
しかし、生徒が学校に通える状況にはなっていない。


息子は、春休み中に新校長に会う約束を県教委と取り付けましたが、
それはこの記事連載から2か月放置されることになります。

※新聞記事を全文読みたい方は、PDFを配っているサイトがありますので、
そちらで取り寄せて下さい。