2013年6月16日日曜日

『伏魔殿』より転載(23)

『伏魔殿』より転載(23)

http://ameblo.jp/blackeyes-1207/entry-11552248475.html

今回も三件の記事を取り上げてくださいました。

11.26 補習スタート

おかげさまで

クリスマスに教員に贈る

「11.26 補習スタート」の記事の中に、

この「補習」の件に関する「連絡書」とやらが、
11.30開始の「補習計画(最新版)」というのと一緒に、
「言い訳」「責任転嫁」の文章と共に、郵便で届いたのが、12月6日です。
こちらは、補習があるかないかすらわからない状態だったのに、
文書では、息子が勝手に「休んだ」という事になっています。

と書きましたが、原文をアップします。
色付きの番号は原文にはなし。

        
         連絡       平成24年12月5日

(1)××君の補習計画について

①11月28日(水)の来校の折、(1)補習の担当者について話がありましたことを受け、
担当者について検討しました。

・担当については、出張等があり、変更も考えられますが、
原則教科は変更せず、教科内で対応する。

(2)補習時間については、××君の事を最優先に考え、登下校が自転車である事から、
日々の登校に支障のないよう、一度帰ってから補習に参加できるようにする。

・時間(基本)午後5:00~6:40(1教科50分間で2教科)

(3)上記の変更について、再考した計画表を11月29日(木)の補習で登校の折に、
配布しようとしましたが、欠席でしたので渡す事ができませんでした。

④11月30日(金)の××君の登校の折り、××君自身の補習である事から、(4)本人に計画表を手渡ししましたが、担任を経由し、説明もなく渡してもらっては困る、受け取れないという旨の報告を受けました。
欠席でしたので渡すことができませんでした。

(5)12月3日(月)、12月4日(火)も同様に、××君が欠席したので、上記の経過の報告とともに、補習計画表を送付します。

(6)学習支援の窓口は、(見ず知らずの全然関係ない教師)が担当します。

※尚、全ての補習担当者は、××君が来る事を想定し、ずっと学習指導室で準備をしていました。


(1)補習の担当者について話がありましたことを受け、~担当については、出張等があり、変更も考えられますが、

こちらが聞いたのは、「出張」の予定などではありません。
「事件関係者」が平然と補習をするというのは如何な物かと言う事です。

12月6日に暴行被疑者は書類送検されたわけですが、その時まで私は、
「回りで見ていて止めなかった教師3人」も、「共犯」になるのでは・・・?
と思っていました。

後に警察から、「暴行したのは1人。他の3人は取り囲む形になっただけで、
元々計画的に「暴行しよう」と決めていたわけではないから、
共犯にはならない」と説明を受けました。
しかし、「見ていて止めなかった」のは、教員倫理、
それ以前に人としてどうかと思っていますが。

それに加え、息子は、「今度あったら止めて欲しい」と3人に謝罪を求めただけです。
そういう関係の「事件関係者」を補習に入れる事が如何なものかと問ったもので、
出張の予定など聞いていない。
何でしょう、この頓珍漢な返事は。

(2)補習時間については、××君の事を最優先に考え、

前日まで時間の変更を頑なに拒んでいたのに、
教育委員長の鶴の一声で時間は変更となりました。

(3)上記の変更について、再考した計画表を11月29日(木)の補習で登校の折に、
配布しようとしましたが、欠席でしたので渡す事ができませんでした。

前日の、教頭とのやり取りの中で「事件関係者」を入れないで欲しい。
と話すと、「旧1年2組の先生は覚えていないと言っている」と言いました。
警察の聴取もされているのに、よくもそこまでとぼけられるものだと思いましたが、
この者達と話しても埒が開かないのが常であるし、
「事件関係者」を外すつもりがないらしいので、この日は教育委員長の元へ。

私は、「精神科にかかるような状況なのに関係者を入れないで欲しい」
と言う事と、
「1年2組は覚えてないと言ってるらしいですけど」
と言いました。
この時の教育委員長は、私の顔を見ずに、一点を見つめ、
怒りの表情で「嘘だ・・・」と呟きました。

この日は、下の子も一緒だったのですが、下の子は委員長とは初対面。
委員長のこの表情を見て、怯えました。
いつもは、息子の顔を見ると、「おう、来たのか!」という感じなのですが、
事が事だけに、この件を話した時の委員長の顔は強張っていたように思います。

以前にも書きましたが、旧一年二組は、旧一学年主任に、
「何故止めなかったのか」と聞かれ、
「止められなかった・・・」と答えています。
この頃は既に、裁判を意識し、専門職のアドバイスで全て記録を取れと言われていたので、
学年主任との会話は収録してあります。
「自分は嘘はつかないので、録音でもなんでもすきにしてくれ」と言っていたのは、
担任のみです。

(4)本人に計画表を手渡ししましたが、担任を経由し、説明もなく渡してもらっては困る、受け取れないという旨の報告を受けました。

この時に担任から、
「計画表が出たような事は聞いたのですが。
お母さんは、ずっと校長との面談を求めているのに、どうして本人に・・・」
と連絡が入りました。

この時話した事。

①28日の補習のドタバタ劇に関して校長が説明するべきである。

②社体の件、校長は教育委員長には対応すると言って全くしない件も説明を受けたい。

③バスケット協会のイベントにて、息子を差別し、私達親子に暴言を吐き、
協会から、指導を受けた後任バスケ顧問の件の顛末がどうなったのか。
11月27日の補習の日に、たまたま担任の補習時間に、協会会長から電話が入り、
この時、担任も電話を代わって会長と話しているので、その事を校長がどう解決するのか知りたい。

④28日の結局誰も補習に来ずに、指導室で待たされている間、
ブロックしているはずの大屋被疑者から、
「おかげさまで」と兄弟そろって声をかけられている。
教育委員長が提言した「ブロック」は実行などされていないのではないか。

校長が全く対応しないので、担任も呆れかえり、
問題の話は尽きませんでしたが、この時は、
確か携帯からかけてもらった電話で長話になってしまったので、
「諸々の話と一緒に補習計画表は、校長の元へ取りに行きますので、
連絡をするよう伝えてください」と言っで電話を終えました。

それを「私が一方的に断った」
「息子が一方的に欠席した」ような文章になっています。

(5)12月3日(月)、12月4日(火)も同様に、××君が欠席したので、上記の経過の報告とともに、補習計画表を送付します。

(4)で書きましたが、担任とこのような話になった事を、教育委員会にも伝えました。
11月29日の教育委員長に会った翌日、「新しい補習計画が出たらしい」という話は、
担任から聞いていましたが、担任にも説明はなかったようです。

この用紙には、何度も「欠席」と書いてありますが、こちらは、
「本当に新補習計画が出たのか出ていないのか」もわからない状態。
息子に「補習計画を渡した」とありますが、
封筒に入っていて、息子は中身を知らない。
渡したしばらく後、教頭は息子に「さっき渡した手紙を返せ」と言いに来て、
ひったくって行ったそうです。(息子談)

この間、補習に関してどうなっているのか、
私は担任と教育委員会と何度も連絡を取っています。

この件での、発信・着信は、11月28日から12月6日に、
この出鱈目文書の速達が届くまで、実に、19回もの電話のやり取りの記録があります。

結局、太田校長がこのていたらくなので、11月29日から12月6日までの、
補習は「あるのかないのかもわからず」無駄になった。
相手に、補習計画も渡さずに、

※尚、全ての補習担当者は、××君が来る事を想定し、ずっと学習指導室で準備をしていました。

アホか・・・としか思いませんでした。

それプラス、
この補習計画の出鱈目な所を、担任以外にも複数の教員から聞いたのですが、

「予定がつかない場合は、自分達で教科内、学年に相談して、自分で代理を探せと言われて困っている」という事でした。

教員の、就業時間は4:40まで。
部活などの無い日は、それぞれ予定もあるでしょう。
なので、「こんな事で、11.26から12.21までの予定表、
最後まで、ちゃんとできるんでしょうかね・・・」と初日から言っていたのですが、
案の定、3日目でこけました。

校長と教頭は、教育委員会から言われて、各教師の予定も聞かず、
「表を埋めるだけ」という予定表を作り、
「何故補習をすることになったか」の説明もせず、
現場の教師達に全て押し付けた。

この補習予定表は、穂高東中学校と安曇野市教育委員会との連名で出ていたので、
今回こそ、と期待したのですが、
教育長は「安曇野市教育委員会」の名前が入っていることすら知らなかったと電話で言っていました。

この新補習計画表を見て、11月29日から12月6日までの間に、
15時限あった事がわかりました。

太田校長の責任で、無駄になったので、
この適当な予定表、教育委員会に差し戻し、それきりです。


12 件のコメント:

  1. 転載してくださっているブログ主様への、コメントの転載許可をいただいているので、こちらにも貼っておこうと思います。
    今日は初めて、そちらにコメントを入れました。

    返信削除
  2. 1. 無題
    酷過ぎる

    これしか言葉がありません。
    ゆきの 2013-06-15 15:34:50

    返信削除
  3. 2. 無題
    >ゆきのさん

    コメントありがとうございます

    ほとんど学校ぐるみの虐めとしか言いようがないと感じてしまいます。補習なんかなせるつもりなどハナッからないような…。
    咲庵 2013-06-15 16:01:08

    返信削除
  4. 3. pyonpyonさんへ
    我々は、サラッと記事を読んでいるだけだが、一体何回、何十回と教育委員会に電話すればいいのか、出向けばいいのか、
    一体何百回学校に電話すればいいのか、出向けばいいのか。
    まともに生活すら出来ないですよ!
    お読みの方もご自分に置き換えて考えてみて下さい。
    まともな生活が出来ますか!?
    結局、こんな事続けるなら泣き寝入りしよう、転校しよう、って多くの方は思ってしまうんでしょうね。
    その中で、ここまで粘り強く闘っているクラママさんを自分は尊敬します。
    咲庵 2013-06-15 18:13:54

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  5. 4. 転載いつもありがとうございます。
    皆さんのコメント、読ませていただいています。

    自分のブログにも書きましたが、人の怒りというのは、そうそう持続するものではありません。
    でも、毎日のように燃料投下される状態で、呆れかえってものも言えない状態。
    でも、話さなければ改善されない。

    当時は、母に細かく内容を聞かれると、すぐに血圧が上がって倒れる寸前まで行ってしまうので、
    固定電話を使えず、携帯であちこちと連絡を取っていました。

    こちらの電話料金を慮って、一度切って折り返してくれるのは、警察と信毎だけで、通信費だけでも、通常の5-6倍。
    毎月、携帯の請求書の封を開けるのもおそるおそるな感じでした。

    「粘り強く戦う」というより、「騙され続けて引き延ばされた」という感じです。

    通信費だけではなく、文書を作成したり、通信時間で生活は顕著に変わりました。

    ここは、温泉地。
    お風呂やさん感覚で、立ち寄りで温泉やサウナを利用できる施設がたくさんあ.るので上の子のアトピー改善の為にしょっちゅう行っていました。

    近くにゴミ処理場があり、ここも市民は安価で温水プールが利用できるので、下の子は喘息なので、喘息には水泳が良いと聞き、週に一度は家族でプールにも行っていました。

    その他にも、長野には観光スポットがたくさんありますから、週末は家族でドライブがてら、ちょっと離れた村里に名産のおそばを食べに行ったり。

    この普通の生活、見事に壊れた一年でした。
    pyonpyon 2013-06-16 01:59:47

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  6. ブログを全部読みました。
    ご子息は今は学校に行けているのですか。
    市や県で支援してくれる方はいらっしゃるのですか。

    過去のことよりもこれからのことを大切にすることがご子息のためにはよいと思いますよ。早く一歩前進できるといいですね。

    返信削除
  7. 読んでいただき、ありがとうございます。
    学校にはまだ、行けていません。

    県教委のご尽力で既に、話し合いには入っており、
    もう少し・・・のような気がします。

    過去に息子の権利の侵害をした校長は、他の学校へ。
    起訴待ちの暴行教師も、異動しているので、
    法廷には持って行かない、残ったいくつかの問題に関して、
    あとは新校長が、どのような判断をするかにかかっているでしょう。

    いきなり赴任された学校に、このような問題があり、
    困惑は隠せないようでしたが、生徒中心に考えてくださる方だと良いと思います。

    返信削除
  8. はじめまして 事件の内容もブログも全て読んではいませんが少しおじゃまします
    私は21年7月から25年1月、民事訴訟終結まで弁護士も立てずに(経済的に無理)戦った無謀な親父です。
    結果は原告の言い分を市が聞き入れるかたちで事実上は原告勝訴で和解しました。
    学校には良い教師も沢山いるようですが、組織の一員としては何も出来ない様です
     校長は代わったようですが教育長は代わりましたか?校長に指図出来るのは市の教育長だけのようですよ、前校長が小学校の校長に降格したと思っているみたいですが、無事に校長として定年を迎えられるように守られただけですよ。
    振り上げた拳の落としどころがなくなりますよね、私も教諭ら校長、教育長の対応が理不尽ばかりで毎日苦悩しました。
     でも一番に考えなければいけないのは、子供の事です、学校と戦うのならば、たとえ一時間でも学校に通わせるべきです。
     子供が精神的に学校に行く事がきつくても事件前と同じ学校生活、家庭生活の日常を取り戻して下さい
     たとえ裁判で勝訴しても日常を取り戻せなければ意味がありません。
    それと少し気になることがあります
    市議会議員、教育委員会は味方にしましょう、たとえ動いてくれなくても批判をするのは胸に収めて下さい、まず敵を増やすより味方を増やして下さい
    私の息子の事件もネットで簡単に見れますが報道なんて極一部しか書いてはくれません、でも批判は胸に収めましょう
     私でよければ経験談、裁判資料、教諭らの陳述書、私、息子の陳述書を見せたいです、私は無学ゆえ公開しないで連絡する術を知りません、すみません
    学校には通わせましょう戦いはそこからです 見守ります がんばってください。

    返信削除
  9. 御子息とTwitter上で交流した者ですが、御子息は新校長に不満があるようです。私も狭い範囲で周知がしたいのですが、実態が分からないと周知がしにくいので、更新を期待しております。

    返信削除
  10. 本人訴訟で3年半も戦われたと言う事、本当にお疲れ様でした。
    そして、勝訴おめでとうございます。
    原因は、やはりいじめだったのでしょうか。

    >学校には良い教師も沢山いるようですが、組織の一員としては何も出来ない様です

    これには大きく頷きました。
    旧担任は、正論を通し、とんでもない目に合っています。

    教育長は変わっていませんが、私が今まで見て来た様子では、
    「市教委寄りの校長」と「県教委寄りの校長」がいるようです。
    今、話し合いに入っている新校長は、「県教委寄り」の校長のようで、
    若干助かっていますが、これからの話し合いでどうなる事やら・・・です。

    >無事に校長として定年を迎えられるように守られただけですよ。

    定年を迎えても、係争中の不祥事が完全に認められれば、
    行政は「求償権」を持っていますので、例えば、裁判の終了が、
    校長の退職後であっても、その場合は「現職公務員と同じ扱い」になります。
    なので、退職金の返納など、様々な惨禍が課せられる事でしょう。
    行政が見逃そうとする場合、この手続きは面倒なのですが、
    弁護士に委任して最後までやり抜きます。
    こんな輩が、無事に退職し、税金から何千万もの退職金を得て、
    更に天下りをする。
    決してこれは許せるものではありません。

    >市議会議員、教育委員会は味方にしましょう、たとえ動いてくれなくても批判をするのは胸に収めて下さい、まず敵を増やすより味方を増やして下さい

    できればそのようにしたかったので私も残念なのですが、多分、安曇野市議会の対応を見たら、
    匿名さんも、舌を巻かれる事と思います。
    長野県内の、他の市の市会議員が絶句しているくらいです。

    今年は、市長選と市議選があります。
    「教育に力を入れる第三極の、行政とズブズブではない議員」が当選してくれる事を祈り、敢えてブログに書きました。

    市教委は、私達親子を排除しましたが、
    県教委とは、密に連絡を取っています。

    県教委からは、「市教委が指導を無視してもどかしい」
    「なんとかしたい」という気持ちは伝わって来ているので、
    関係は保っているつもりでいるのですが・・・。

    現在、復学する為に、話し合いを持っていますが、
    その最大のネックは、普通に部活に参加したいという事と、
    いじめをした教師が現在も残っている事です。
    もう息子は思春期。
    私の言う通りにはなりません。
    「教育的配慮」の全くできない学校を息子は信用していないのです。

    私もお父様がどんな経験をなさって来たのか、是非知りたいです。
    こちらのコメント欄に、捨てアドでも書いていただければ、
    私が「公開」せずに見ただけで「削除」してしまえば、
    ネットには載りませんので私信の交換はできるようになります。
    良かったら是非お聞かせください。
    参考にさせていただきたいと思います。

    返信削除
  11. ツイッターでの息子への声かけ、ありがとうございます。
    今は、私も公開したくてもできなくて、もどかしい部分があるのですが、
    できる範囲で記事にしたいと思います。
    これから、まとめます。

    返信削除
  12.   戸高教諭(担任)松田教諭(バレー部顧問女性)山之口教諭(学年主任)
                   陳述書

     原 祐平、現在高校2年生です、修学旅行の事件当時は、14歳でした。
    僕が修学旅行に髪を染めて参加したことで、家族や先生方、日向中学校の友達と父兄の方々に大変な迷惑を掛けた事をお詫びいたします。

     僕が髪を染めた理由は、先生を困らせる為でも、家族に反発する為でもありませんでした。
    僕は、せっかく都会に行けるので、ちょっとおしゃれがしたくて、ダークブラウンの染め粉を買って修学旅行の前夜、お風呂場で耳の横と、頭の後ろを少し染めたつもりでした。
     風呂で洗い流して自分の部屋で鏡を見たら全然染まっていなかったので、ガックリしました。でも朝起きて鏡を見たら、思ったより茶色く染まっていたので、正直びっくりしました、親にばれたら、修学旅行に行けないと思い、帽子を持って行きました。
     お母さんが駅に連れて行ってくれました。
    駅に着いて戸高先生に挨拶をしました、先生は「髪を染めてるやろ」と言いました。僕は「いえ、染めてないです」と答えて直ぐにバスに乗りました。
    窓からお母さんと戸高先生が何か話しているのは見ました。松田先生と養護の先生も来ました。僕は先生とお母さんが髪のことを話していると思いました。
     戸高先生がバスに乗ってきたので降ろされると思いました、でも何もいいませんでした。バスが出発したので安心しました。
    でも色んな所に寄るたびに先生達が僕のほうを見てざわざわしているのはわかりました。髪を染めたのがばれたと思いました。
     ホテルに着くと一時して山之口先生が「ちょっと来い」と言って戸高先生の部屋に行きました。部屋には3人の先生が居ました「そこに座れ」と言われて正座をしました、山之口先生が「今日の朝の事やけど」と言ったけど内容は忘れました。僕は色々聞かれて「ちょっと染めました」といったら山之口先生に「そんなん関係ない、染めたっちゃろが」と左目のこめかみの所をゲンコツで叩かれました。一発目のゲンコツが滑って目に当たりました。僕は「染めました」と泣きながら言いました。その後5~6発同じ所を叩かれました。山之口先生と松田先生は「出ます」と言って部屋をでました。
     戸高先生とふたりになり戸高先生がなんか言ったけど覚えていません。今からやられる恐怖心と痛くてあまり覚えていません。
     戸高先生が泣きながら「悲しいよ、裏切られた気分だ」と言って無茶苦茶叩かれました。戸高先生は立ち上がって叫びながら右足で体をけって、倒れそうになると、左足で蹴って何回も続きました。戸高先生の膝とかが頭に何回も当たって頭を蹴られた時は気が遠くなり倒れました。でも倒れたままだと、もっとやられると思い我慢して正座をし直しました。
     気が付くと戸高先生の顔が目の前でした。すぐに目を開ける暇も無いくらい両手で叩かれました「まじに殺されると思いました」戸高先生は急に黙って立っていました。

     静かになったら山之口先生が直ぐに入ってきました、部屋の外に山之口先生は居たんだと思いました。山之口先生は「散髪に行くぞ、髪を切れ」といいました。僕は全身が痛くてふらふらでした。松田先生は部屋の外に居ました「私には何かないのか」といいました。僕は、先生は部活顧問なので悪いことをしたと思いました「すいません、染めました」と謝りました。いきなり平手で「ばか、ばか」と叩かれました。二発目のビンタで反対側の壁にぶつかりました。その後も何か言いながら何発も叩かれました。僕はもうどうでもいいような気分になりました。

     僕は理髪店に行く時に、戸高先生の後をついて行くのがやっとで走ったけど追いつけなくて、途中で戸高先生と10Mくらいはなれたので、逃げようと思ったけど、つかまったらまたやられると思って止めました。

    散髪屋のおじさんに、戸高先生が「五りんにしてください」といいました。戸高先生が店から出て行った時におじちゃんが「五分刈りにしとくね」と言ってくれて嬉しかったです。
    ホテルに帰ると山之口先生と松田先生が食事をしながら「次は大知(友達)をしめよう」と話していました。すぐに先生達が僕を見てビックリしたような顔をしました。
    山之口先生に何か言われたけど今は、思い出せません。
    そしてロビーで戸高先生とご飯を食べました。
    部屋に戻ると部屋の前の通路に友達が4人正座をしていて、後で聞いたら4時間正座をしていたそうです、理由はおやつを食べてはいけない時間に飴玉を食べたからだそうです、松田先生が前を通るたびにビンタをされたそうです。  部屋に入ると皆が心配してくれました。友達が「氷を買ってきて冷やそう」と言ったけど氷を買っているのが先生達に見つかったらまたやられるかもしれないので、友達が「押入れで泣きない」と言ってくれたので押入れで泣きました。

     就寝時間前に松田先生が僕たちの部屋に来たと、お父さんに聞かされたけど僕は、誰か来たのは分かったけど松田先生だったのかはわかりませんでした。部屋の明かりは消えていて、何人かの友達が騒いでいて、突然明かりが点いたら松田先生が僕の横に座っていてびっくりしました。僕は座っていて暴れてもいないし、注意もされてはいません。僕は痛くてそれどころじゃなかったです。
    翌朝の食事中、松田先生が僕のほうをちらちら見て、何で僕のほうをみているのかな~と思い嫌な気分でした。自由時間には、僕は電話を探しました、友達にも「電話はどこかにないけ?」と聞きましたが電話のありそうな店には、どこでも先生達がいて先生達全員が見張っている様に思いました。
     戸高先生がカメラを僕に向けてきたのは、すごく嫌でした、先生が近づいて来るのも嫌でした。僕が痛そうな素振りやつまらなそうにしていると何をされるのか分からないので、とにかく恐怖心しかなかったと思います。
    僕は今17歳です「怖かった」というのは嫌だけど、今なら戸高先生に勝てます。
     清水寺の所で僕が松田先生に「こんにちは」と挨拶をしたことをお父さんに聞かされたけど、僕たち生徒が松田先生に気づいたら大きな声で挨拶するのは当たり前です、もしも挨拶をしなかったら絶対に何かされます。そんな人なんです。

     僕は正直に言うと、修学旅行中のことは、お父さんが先生達の陳述書には「こんな事が書いているぞ、こんな事があったのか?」と聞かれた事しか思い出せません。僕の友達にも「なんかあったかね~?」と聞いたけど友達は「修学旅行は地獄やったよね」と言って「高校の修学旅行は楽しもう」と言います。
     中学校の修学旅行では、沢山の友達が松田先生に叩かれました、鼻血を出してシャツが真っ赤になったバレー部員も居ました、女子もビンタをされました。
    「こんな事言っても誰も信じてはくれないよね?」と家族で話しましたけど「本当」です。教育長も校長先生も先生達も生徒もみんな知っています。
     修学旅行から帰って家でお父さんに全部話しました。僕の話をお父さんは「そんなこと信じられるか、こんな事で嘘をついたらとんでもない事になるぞ、お前の話は半分だけ信じる」と言いました。お父さんが学校へ電話をして折り返し戸高先生から電話があったとお父さんにいわれました。
    お父さんは「先生達が来るまで寝てていいよ」といわれお父さんの布団で寝てしまいました。その日には先生達は来ませんでした。
    朝起きたら、お父さんが「仕事に行く」と言ったので、僕は「お父さん左耳が聞こえにくい、左目がかすむ」と言ったら、お父さんがお母さんに「眼科に連れて行ってくれ」と言いました。
     お昼前に稲原眼科にお母さんと行きました。
    稲原眼科で頭を固定して目の検査をしていたら気分が悪くなり先生に「吐き気がします」というと、お母さんが和田病院(脳外科)に連れて行ってくれました。
    その後また稲原眼科に行きました。僕はお母さんの車の中に居ました。お父さんもしばらくして来ました。後で両親に聞いたけど、診断書を医者の先生が「書いてくれない」のでもめていたそうです。4000文字ほどしか入りませんでした。



    pokapoka51@gmail.com ネットで髪を染めて修学旅行で検索できます。

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