2013年4月22日月曜日

むすんでひらいて2「『事実知って』ブログ開設」

「事実知って」ブログ開設

「事件」の説明会  発言遮られた母親

この日の記事では、出鱈目な説明会の様子が書かれていました。
余の一方的な発言で、私は説明会の翌日からブログを始めています。

※一部記事引用


○○講師「○○教諭が自らフャイルを地面に投げつけた。
○○君に「『拾え』と言っていた。蹴ったり、紙ばさみで殴ったりは一切してない」

○○講師「『拾え』と言ったのは覚えている。蹴ったりはしいない。」

○○教諭「まったく記憶にない」

生徒は新入部員で当時、身長150センチ弱。
一方、顧問は生徒よりかなり大きい。ぶつかった際の詳細について生徒は「タックルされた」との認識を持っているが、顧問や講師らの報告を受けた学校側は否定している。

※改行、色は筆者。



記事を読んで、改めてあの説明会の状況を思い出しました。
刑事さんにも、「何で説明会に××を連れて行ったの・・・?」
と息子を傷つける結果になった私の行動を責められましたが、
これは、私が本当に馬鹿だった。

その日、私たちは、意気揚々と出かけて行ったのです。
なぜなら、
「学校が事件を認めて新聞沙汰にまでなった不実を全父兄に謝罪する」
と思ったからです。
「たいした事がなくても書類送検をされる」などという非常識な言い訳は、
私たちには想像もつかなかったからです。

どうせ、校長は、9月1日の会合の時のように明後日の方向を向いて、
クタクタとした謝罪しかしないだろうとは思っていましたが。

私は、息子と校長の真正面に座りました。
そして、説明が終わり、声を上げた時に教頭に怒鳴りつけられました。
「あなたと議論する場所ではないですから!!」
それもマイクで。
上から。

この説明会の日、体育館には椅子の用意も無かったのです。
大きく敷いたゴザの上に、全父兄が座りました。
教員達は向かって左側に全員立っていた。
そんな状況だったので、上から怒鳴られた印象を受けました。

この教頭は、今年も異動はありませんでした。
ネットでも顔までおなじみの人です。

この教頭は、本件とは別件で「私」に対するトラブルがあるので民事訴訟をします。
その他にも私とは直接関係のない事で、
地公法の刑事処罰のある項目にも違反しているので、
今後、細かく取り上げていきます。


この「まったく記憶にない」にと言った教師。


「見ざる言わざる1年2組」
http://pandemonium12.blogspot.jp/2013/03/blog-post_7519.html



昨年の人権月間の『人権係』だった教師。

この男は、昨年の9月、暴行事件が明らかになった際、
わざわざ私に「おかあさん、大変でしたね、上から話が下りて来ないんですよー」と、
白々しく語りかけています。

警察には「そばにいたけど、よく見えなかった」と証言しました。
私は警察と共謀正犯の話しをした折りに、
「あんなにそばにいて見えてないわけがない」と言われています。

そして、新聞記事の説明会の日、この男は駐車場係をしていて、
私と直接話しています。

「あなた、謝らなくて良いの?××は謝ってほしいって言ってるだけなのに?」

マスクに帽子、眼鏡で人目から身を隠すように車の誘導をしていた手を止め、
この男は私をまっすぐに見つめ、「何の事だかわかりません」
と、言いました。

弁護士からの文書には、
「そばで見ていた教諭たちからの証言で『暴行』ではなかった」と書いてあります。

「よく見えなかった」
「見ていたけど暴行ではない」
「覚えていない」

この二転三転する証言。

学校は、教育委員長から「補習計画を立てろ」と言われた折り、
この男を数学の教科担任に入れて来ました。

なので、一言軽く「ごめんね」くらい言ってから授業に入って欲しいと言った事を、
私の「感情的理由」と「息子の勝手な事情」で補習に出なかった事にされています。

息子は、回りで見ていた教師達には、「止めなかった事を謝ってほしい」
そう言っただけです。

ここまで、シラを切り通す事が教育者でしょうか。
この教師にも子供がいるそうです。
自分の子が、やがて大きくなってネットを見たり、
自分の父親の出廷記録を見る機会があれば、いつか知る日が来るでしょう。







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